日本で最も歴史のある野球メーカー
創業から紆余曲折を経て現在に至るまでの玉澤の歴史をご紹介します。
「玉澤」は1910年からの歴史を誇る日本最古の野球用品ブランドで、長い歴史のなかで「野球」というスポーツの発展に大きく携わってきました。
明治時代、相撲や蹴鞠などの「武芸」が主流だった日本に、英国人教師によって「スポーツを楽しむ」という概念が生まれ、野球も発展を遂げていた頃、職業野球というものは存在していませんでした。
そのため、玉澤はアマチュア野球の先駆けである東京六大学野球の普及に努め、アマチュア野球が成熟するにつれ、大学野球の花形選手が活躍するネクストステージの場としてプロ野球の普及に尽力し、当時の選手とともに野球用具の生産と改良を行ってまいりました。
過去のプロ野球や都市対抗野球は玉澤が主催し、スポンサーだった大会が前身です。
巨人V9時代(1965年から1973年)には、読売巨人軍へボールやユニフォームの提供を行い、他にも中日や日本ハムなど多くのプロ球団の契約メーカーとして一時代を築きました。
最近ではカンタマ(=漢字の玉澤ロゴマーク)が、阪神タイガースに所属していたドリス投手(2016-2019)をはじめ、
数名の外国人選手に使用されるなど、グローバル展開もしています。
2024年からは横浜DeNAベイスターズの加藤響選手とアドバイザリー契約を結び、伝統を絶やすことなく現代の野球人の期待に応えていけるよう邁進していきます。
玉澤の歴史
- 1910年 創業者・玉澤敬三が 「田中運動具支店」として新宿で営業を開始する。
- 1912年 「玉澤バット商会」と社名変更する。
- 1915年 自社工場でボールの生産を始める。
- 1920年 都市対抗野球大会の前身となる「関東実業野球大会」を主催する。
- 1922年 NPBの前身である「日本運動協会」が設立され メインスポンサーとなる。
- 1923年 東京六大学野球連盟の公認ボールとされる。
- 1928年 新宿区山吹町に本社ビルを建設する。
- 1938年 「株式会社玉澤」と社名変更する。
- 1957年 東京六大学野球の当時のホームラン記録である第8号が玉澤バットによって放たれる。
- 1974年 日本初のアルミ製バット「斗魂」完成する。
- 1984年 「株式会社玉沢スポーツ」と社名変更し 世田谷区に移転する。
- 1994年 「株式会社スポーツ玉澤」と社名変更し 台東区上野に移転する。
- 2024年 スポーツ玉澤から事業継承し「株式会社玉澤運動具店」が新宿区を拠点に事業再開。